石川町の中部は、花崗岩地帯である。市街地もここに立地する。

市街地の南方の山橋地区の谷は、格子状となっている特徴がある。格子状谷の範囲が花崗岩地質と一致しているので、これは花崗岩の割れ方、方状節理が地形に反映したと考えられる(ブラタモリ宮島編を参考に)。

石川市街地は、石川氏が八幡山に築いた三芦城とセットとなった戦国都市である。クランク状の道路が往時を偲ばせる遺構である。市街地を囲む地蔵山、源平山、石尊山、薬王山、八幡山を私たちは「石川五山」と呼んでいる。薬王山を除く山々には、花崗岩が方状節理した奇岩が多くみられる。現在その多くは戦後植林された杉林に覆われている。大正14年書かれた俯瞰図を見ると、奇岩が良く描かれている。すなわち石川谷は、狭小な谷の周囲の山に奇岩がゴロゴロする独特の景観であった。特に目立つ奇岩には、祠が祭られている。

石尊山の同じ節理(東西方向)

石尊山の節理(東西方向)

石尊山には、東西方向の大きな節理が見られる。まだ確認していないが、地形上の格子状谷の方向と一致すれば面白い。

また石尊山には、奇岩の一つに「大山阿夫利神社」が祭られている。神奈川県の大山阿夫利神社の本尊が石尊権現であり、中世の修験道とともに全国に勧請された。すなわち石尊山は修験道の場であったことは明らかであるが、石川谷全域が石川五山を巡る霊場であったものと、私は推定する。