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今回より、「後半(樹木編)」のスタートです。

「樹木編」を始めるにあたって、ブータンと日本の植生のつながりを示すために、「照葉樹林文化論」をご紹介しましょう。

日本は、東日本中心とする落葉広葉樹林帯と西日本を中心とする常緑広葉樹林帯に大別されます。

常緑広葉樹林は、照葉樹林とも言われ、西日本からヒマラヤ地域にかけて、分布します。

照葉樹林の主体はカシ類とシイ類ですが、日本ではツバキ類、ブータンではシャクナゲ類が主要な構成樹木として、加わります。

さて中尾佐助さんは、「照葉樹林文化論」を提唱しました。従来日本の縄文人は、木の実や動物の採取・狩猟によって生活していたというのが、通説でしたが、中尾さんは、焼畑などによって、縄文人は有用植物を栽培していた、と主張しました。初期農耕論です。

「照葉樹林文化論」の基礎となったのが、1950年代に行われた、ブータンでのフィールドワークです。
したがって今回ご紹介するブータンの照葉樹林の写真は、「照葉樹林文化論の原風景」です。

中尾さんの「照葉樹林文化論」は、壮大すぎて、隙が多いために、考古学では批判も多いのですが、縄文時代に植物栽培、半農耕があったというのは、遺跡の出土状況で証明されています。

ブータンの生活文化は、さまざまな点で日本と類似することが多いので、「照葉樹文化論」は、検証されながら、継承されるべきだと思います。

(有)仲田種苗園
仲田茂司