■青森市三内丸山遺跡

東北地方の縄文住居は、土屋根から草屋根に変遷して、草屋根(茅葺き屋根)のテッペンの芝棟は土屋根の痕跡と考えられています。

土屋根と言っても、野の花を含む自然植生ターフを使用することがアムール川流域の民族例から知られています(御所野遺跡の所で解説)。
私は芝棟からヒントを得て、野の花マットを開発しました。三内丸山遺跡の復元住居も、芝生ではなく、野の花マットを載せると、さらに魅力が高まりますが、まだ営業できていません。
桧枝岐歌舞伎舞台の芝棟
 野の花マット(2003年開発、2006年特許取得)
ねむの木こども美術館「芝棟」(藤森昭信作、2006年竣工)
■岩手県御所野遺跡
個人的には、三内丸山遺跡よりも同じ世界遺産の御所野遺跡の方が好きです。
三内丸山遺跡の建物復元がほぼ同時期に注目された弥生時代の吉野ヶ里遺跡となんとなく似るのに対して、御所野遺跡は地道に東北アジアの民族例を調査して復元しているので、リアリティを感じます。
復元住居の土屋根に食べごろのフキノトウが出ていました。土屋根は本来自然植生ターフを乗せたので、フキノトウは当然有りです。さらに野の花が咲けば言うことありません。
御所野博物館展示解説
■クリノキと縄文建築
縄文人はクリノキを栽培して、食料や建築材に利用しました。
縄文建築団長藤森照信もクリノキが大好きで、茶室の基礎、梁や柱、壁ゆ床、家具など様々に使いました。
縄文庭師の山口組と「新」撰組は、クリノキで土橋を作りました。
御所野遺跡のクリノキ林
三内丸山遺跡高櫓(クリノキ材)
茅野市神長官守矢家屋敷にあるクリノキ巨木は、目通り幹周280㎝根元周は300cmを超え、青森県三内丸山遺跡から出土したクリノキ材(根元周300㎝内外)とだいたい同じ太さです。
また三内丸山遺跡は6基の柱穴のうち4基からクリノキ材が出土し、そのうち2基は若干内側に傾いていることが確認されています。
茶室「矩庵」のクリノキ土台(藤森昭信作)
榧木ビレッジ(福島県矢吹町)の土橋(埼玉県山口庭園、福島県創苑の杜)
■さとがおかキンダーガーデン里山園庭
私たちが設計施工した’さとがおかKG里山園庭’も、気がつけば縄文的です。
御所野遺跡などの土屋根構造竪穴式住居や民族例「ナーナイ土屋根建物」に似ていませんか。