環境戦略 生物多様性を通して地球の緑化を考える 仲田種苗園
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環境戦略

里山再生物語ー青生野ガーデン倶楽部

仲田種苗園が経営する青生野ガーデン倶楽部の住所は、福島県鮫川村大字青生野字世々麦。 元々は国有林で、1960年代に地元有志が払い下げを受け、桑園として利用した。 「養蚕業」wikipedia 高度経済成長によって内需が伸 …

環東京湾環境戦略(最終回)

環東京湾とは、東京湾と相模湾を囲む地域(房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆七島沿岸部)に鹿島灘沿岸地区を付け加えた地域です。 東京(江戸)を要として、東は鹿島灘の那珂湊、西は伊豆半島の石廊崎、南は伊豆七島が境となります。 …

環東京湾環境戦略(35)

東京湾の生物(葛西水族館の展示解説から) 東京湾の最奥部には、利根川支流の江戸川、荒川支流の隅田川、多摩川が流れ込みます。これらの河川が運ぶ土砂は膨大でした。本来の東京湾の地質を復元すると、河口には川によって運ばれた土砂 …

環東京湾環境戦略(34)

史跡品川台場 ペリーが来航した1ヶ月後、嘉永六年(1753)7月、幕府は外国船の再来航に備えて、伊豆韮山代官江川太郎左衛門に命じて、品川沖に(砲)台場を建設しました。 わずか1年3ヶ月の間に、未完成の2基も含めて7基の台 …

環東京湾環境戦略(33)

浜離宮庭園 左:海水取水口、右:鴨場遺構 江戸は、湾に面し海運も盛んであったことから、海洋都市でした。また市中においては300近い大名の屋敷(複数ある)や寺社だけでなく、町人も財力に合わせて植木や観葉植物を楽しみ、一説に …

環東京湾環境戦略(32)

江戸の潮入り名園:浴恩園 定信自画像、右は顔を自ら描き全体は狩野派の画人に描かせた 写真は、白河藩主松平定信です。左は30代、右は50代、いずれも本人が描いた自画像とされています。加齢を考えても、目元、鼻、顎の輪郭など、 …

環東京湾環境戦略(31)

菱垣船(大江戸東京博物館) 江戸は海洋都市でもありました。江戸の街は、家康の入城当初から海運のための運河が整備されました。 江戸の海運は、当初千石積みの菱垣船を使って、大阪から油・酒・醤油などを運んだ菱垣廻船が主力でした …

環東京湾環境戦略(30)

葛西からディズニーランドを望む 天正十八年(1590)、徳川家康が江戸城に入ります。天下人はいずれも水陸交通の要所に城下町を築きました。信長の安土城下は琵琶湖の水運の拠点に京都と東国を結ぶ街道を引き込みました。秀吉の大阪 …

環東京湾環境戦略(29)

江戸・東京編 お台場から品川・汐留方面を望む 関東平野は、約13万年前の下末吉海進と河川侵食によって数段の基盤に火山灰が堆積した「洪積台地」と一万年以降に堆積した「沖積平野(低地)」に大別されます。洪積台地の厚い火山灰( …

環東京湾環境戦略(28)

植生区分を考えるときに、伊豆諸島の植生はわかりやすく、モデル的な地域であると私は考えます。 植生区分には、大中小の3つの区分があります。大区分としては、「生物多様性保全のための国土区分」があります。伊豆諸島は、その第6区 …

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