福島県中通り地方は東に阿武隈山地、西に那須火山帯に属する吾妻山、安達太良山などの第四紀火山が聳える。

阿武隈山地の大部分は1億年前の変成岩と6千万年前の花崗岩からなる。

第四紀火山は現在も活動中の火山前線で、その火山活動によって隆起、東側は「正断層」によって沈降して、盆地や小平野を形成している。

(「地学」啓林館)

100万年ぐらい前、南会津地方カルデア火山群が活発に活動して、中通り地方南部にデイサイト質火砕堆積物(凝灰岩)からなる白河層が膨大に分布している。

中通り地方中部から北部にかけては、第四紀火山由来の火山灰や凝灰岩が堆積している。

阿武隈川は、那須連峰甲子旭岳に源流があり、中通り地方を北上して、宮城県亘理町と岩沼市の境で太平洋に注ぐ、全長239kmである。

阿武隈川は最初は白河層を刻み、平野部に至ると河川の沈降と堆積土の隆起によって段丘を形成しながら進む。須賀川市と玉川村の境の乙字ケ滝では再度白河層の巨大な岩体を突き破り、須賀川郡山盆地では段丘を形成しながら南下、二本松市で花崗岩帯(稚児舞台)を突破して信達平野で段丘形成、またまた福島県と宮城県の境で花崗岩帯(阿武隈渓流)を突破して太平洋に注ぐ。

地質ごとに独特の景観を形成している。

■源流域

□甲子剣桂付近

厚い白河層を刻むようにして渓流が流れている。

河原の転石には、甲子旭岳の地質である玄武岩、その麓の花崗岩、安山岩、溶岩などが見られる。

剣桂

□西郷瀞

凝灰岩(白河層)の渓流

■上流

□小峰城

白河藩の居城小峰城は、阿武隈川の右岸の独立丘(おそらく白河層凝灰岩の残丘)に築かれた。掘割は阿武隈川からの引水であろう。

小峰城の石垣は、白河層凝灰岩を切り出して築かれている。

□ひたち橋

中島村と白河市東村に架かるひたち橋。かっては茨城県平潟と結ぶ常陸街道の要所で、ここで塩や海産物を舟に積み替えて、下流に運んだ。下流の中継点は、明岡(現在の矢吹町明新)、須賀川の中宿、三春の鬼生田(現在の郡山市)。

阿武隈川の流れが穏やかで、広い段丘を形成している。ひたち橋の上流数キロには古代陸奥国白河郡衙の関和久遺跡、下流1キロには4世紀の前方後円墳である四穂田古墳がある。

□鷹の図

水清き 阿武隈川の 流れをも とどめてもみん 鷹の図の山」(伝松平定信)。
仲田種苗園鷹ノ巣農場は、阿武隈川が大きく蛇行する河岸段丘上に立地します。
段丘先端は花崗岩露頭。
農場は、地質時代河川に堆積した玉砂利層が隆起して水はけがよく、その上に那須連峰を噴出源とする火山灰土が堆積しています。この火山灰土は関東ローム層と同じく弱酸性で植木や野菜の栽培に適しています。
この豊かな土壌と阿武隈川から供給される空中湿度、そしてカラマツが日差しを和らげて、モミジは柔らかくて強いしなやかに育ちます。
ランドスケープをみてみましょう。
段丘の下から見ると、冒頭の歌のように絶景。当代一流文化人であった定信ほどの知識がない私にはなかなか鷹の図は見つけられませんが。
段丘の上から見ると、遠景に那須連峰、中景近景に阿武隈川とこれまた絶景。
4月になると、河原に菜の花、土手に桜が咲き、近景が色づきます

 

□明新橋周辺(石川町中野・矢吹町明新)

この付近は右岸が花崗岩、左岸が凝灰岩で、川底には花崗岩が露頭します。
河川の沈降と堆積層の隆起によって形成された低位段丘は肥沃で、弥生時代や7世紀の遺跡が発見されています。
社川が合流し、古代から舟運の拠点であったと私は考えていて、陸奥国白河郡藤田郷が置かれました。
江戸時代には豪商円谷家が船着場と蔵を構えて、陸揚げした米や塩を会津領内まで販売しました。
右岸の丘の上、しかもペグマタイト(巨晶花崗岩)の上に仲田種苗園の事務所があります。
社川との合流
江戸時代の船着き場
中世の渡場か?両岸に中世板碑がある
■中流
□乙字ケ滝(須賀川市・玉川村境)
乙字は滝の平面形から名付けられ、石川滝や竜ヶ崎滝とも呼ばれていました。
凝灰岩に形成された河岸段丘、凝灰岩特有のサイコロ状の割れ目(柱状節理)が水の段落ちとなって独特の景観を形成して、古くからの名所でした。
文化10年(1813)、松尾芭蕉は弟子の曽良とともに訪れて、「五月雨 滝降りうつむ 水かさ哉」(おくの細道)。
舟運には難所で、幕末には流域の豪商たちが滝中央を掘削して、舟を通行させました。
しかし鉄道開通以降舟運は衰退したが、掘削跡は一目で分かります。
なお乙字ケ滝を境に、阿武隈川中流域と上流域が分かれます。
□稚児舞台(二本松市)
The Abukuma
阿武隈花崗岩体を阿武隈川がこじ開けたような壮大な景観です。
花崗岩特有の柱状節理の割れ目を莫大な水圧と時間をかけて、水路を作ったのでしょうか。
阿武隈川中流(二本松市稚児舞台)
ここは植生も面白いです
花崗閃緑岩(黒雲母を多く含む花崗岩)はサイコロ状に割れるが(柱状節理)、割れ目にユキヤナギやシモツケが自生しています。
ユキヤナギは、埼玉県長瀞の変成岩河岸でも見らます。
砂は花崗岩の風化したもので、雲母や鉄分を含み、とても美しいです。
□伊達市大枝城跡から撮影
河川の沈降と堆積層の隆起によって広大な河岸段丘が形成されました。
この堆積層は養分に富み、弥生時代以来稲作の中心で、中世は伊達氏の拠点でした。
また水はけが良いので明治以降は桑が栽培され、現在は桃などの果樹が栽培されています。
□伊達市五十沢
河川の沈降に伴って、流域の堆積層が隆起して河岸段丘を形成します。
その段丘を川が蛇行します。
■下流
□宮城県丸森町と福島県伊達市の境、兜橋から撮影)
川底に花崗岩が露頭しています。
この辺りから、阿武隈川は花崗岩帯を突き抜けていきます。
□阿武隈渓流(宮城県丸森町)
花崗岩の割れ目(節理)に沿ってできたと思われる渓流的な景観。
あぶくま急行が走ります。