私の曾祖母は、馬飼育の名人だった。馬が何より大事で、娘の出産より馬の出産の方を気にかけていたという逸話がある。私が生まれた時には、すでに他界していたが、実家には馬と一緒の曾祖母の写真や馬に関する賞状がたくさん飾ってあった。

曾祖母が飼育した馬は軍用馬であった。軍用馬の需要は日清、日露戦争にはじまり、第2次世界大戦の終戦まで続く。

私の実家は阿武隈山中標高約500mのところにある。阿武隈山系では、終戦まで馬産が盛んであった。おもに農耕馬であったが、曾祖母のように軍用馬を飼育する人は誉れが高かった。

阿武隈山系での馬産は、冬以外は放牧である。放牧地では、独特の植生が形成される。背丈の高い草は、馬が食べるために、芝原が形成される。芝と共生するリンドウやネジバナなどが四季の彩りを添える。またツツジ類は馬にとって毒素があるために、食べられずに生育する。芝原にツツジ類が点在する美しい景観が形成される。

阿武隈山系には高柴山(小野町、田村市)、芝山(古殿町、いわき市)など、かって馬の放牧によって形成された芝原が今に残る。

 

takasiba1.jpg高柴山頂の芝原とヤマツツジ(標高884m、小野町〜田村市)

takasiba4.jpg矢大臣山山頂の芝原とヤマツツジ(標高964m、小野町〜いわき市)

takasiba2.jpg芝原のハルリンドウ(矢大臣)

takasiba3.jpg芝原のマツムシソウ(矢大臣)