薗部一郎東京帝国大学教授は、明治~昭和の日本林政を主導してきた。
昭和10年2月10日、福島県石川町の最高所(標高600m)「二本ブナ」周辺で行われた大日本山林会主催の山村経済再生指導者講習会には、薗部教授をはじめ、農林省課長や地域の指導者が参加した。いわば二本ブナは、日本林政の礎となる。
第3回 ふくしま若者会は、11月3~5日、二本ブナ地区の一角にある馬産遺構「養駆場」でワークショップWSをずる(NPO法人 ふくしま風景塾と千葉大学大学院園芸学研究科(木下勇、霜田亮祐両研究室)共催。
この貴重な写真は、WSを協働する中田造林組合の組合長の鈴木茂氏が、大切に保管している。
二本ブナは私の実家の近くにあり、原風景であるが、改めて圧倒的な近代里山史に驚かされる。地域再生の種やエネルギーは、その歴史の中にあろう。

大竹亀蔵(1871~1948)は、石川町中田生まれ、福島県製炭技師であった。昭和6年、彼が開発した「大竹式炭窯」は帝国発明協会の表彰を受けてからは、全国に普及した。
昭和10年(1935)、大日本山林会主催の山村経済再生指導者講習会が、亀蔵の生家周辺(二本ブナ地区)で開催された。大正から昭和初期の日本林政を主導した薗部一郎東京帝大教授が指導した。
時代は、満州国(1932~1945)が建国されて、木炭の需要が急増した時である。
当時、二本ブナ地区は馬産が盛んであった。これも日清、日露戦争から満州国建国に至る大陸での軍用馬の需要増を反映している。
亀蔵の生家から100mの所に、軍用馬を訓練した「養駆場」跡が残されている。googleの航空写真では見事な400mトラックだ。
トラック内には、大竹式窯の平面形とよく似た炭窯跡がある。
11月3~5日、「ふくしま若者会」(NPOふくしま風景塾×千葉大学大学院園芸学研究科)は、ワークショップの一つとして、この炭窯を発掘して、学生のデザインにより、現代的に再生する。

■私の祖父と大竹式炭窯講習会

私の父茂は、昭和10年代の写真であると推定する。昭和10年の大日本山林会講習会の前後あたりか。

円内は大竹亀蔵、中央の帽子姿が私の祖父仲田美種。