1988年12月から1989年1月までの34日間、私は早稲田大学エジプト調査に参加し、ここで平成を迎えた。
観光地ルクソールの対岸クルナ村にワセダハウスがあり、ここに滞在しながら、近くの貴族の墓を調査した。
私はW5という墓を任された。
私は当時三春町の学芸員だったが、酒好きで、野球もできるので、吉村作治先生には可愛がられた。
私はルクソール対岸クルナ村で貴族墓の発掘調査を担当しました。
エジプトでは発掘調査は失業対策もあるために、日本人が直接スコップを持つことができません。
人夫頭に指示して、彼が作業員に指示します。
私は10のアラビア語を覚えました。スタンナは「(掘るのを)中止して」、カリバラークは「注意して(掘ってね」、一番使ったのはシードヘイラック「頑張れ」。
ワセダハウスはルクソールの対岸のクルナ村にある。
ナイル川を船で渡る。
ナイル川の夕焼けは今でも瞼にこびりついている。
エジプトの一般的なレストランは、美味しく、太りました。
エジプト文明を代表する王墓や神殿跡もたくさん見学した。
しかし、クルナ村デル.エル.メディ-ナ(労働者集合住宅)は、深く考えさせられました。
王家の谷を築く労働者たちは、生涯ここから出ることを許されませんでした。
エドフは、ルクソールとアスワンの間にある町です。
ホルス神殿やコム・オンボ神殿があります。
1988年12月末当時、日本人観光客がほとんどいなくて、保存状態が良い神殿跡を落ち着いて見学できました。
1989年1月1日、初日の出はアスワンで拝みました。
アスワンハイダムで水没する神殿を世界的資金で移築。
カラブシャ神殿を小船を使って見学しました。
ベスは、舞踏と戦闘の神。私が一番親しみを感じた神ですが、最近鏡に映る容姿が似てきました。
エジプトでも、風景や花の写真は多いです。
1988年当時は31歳、三春町の学芸員でしたが、
造園の芽は無意識のうちに育っていたようです。
ルクソール神殿や近くのカルナック神殿には、オベリスクが建てられています。
アスワンにはその石切り場があります。オベリスクは高さ40m、重量1,000トン、材質は赤みが美しい花崗岩。ルクソールとアスワンの距離は240キロです。
1989年1月。
中近東文化センターイスラム調査を見学しました。シナイ半島ツール市でイスラム時代の港遺跡を、早稲田大学出身の川床睦夫さんが中心となって発掘調査していました。サンゴで住居が築かれ、出土した文字資料は当時世界の交易史をリードしていました。
発掘作業員たちが夜通し踊って恍惚状態になることを見学したのも、貴重な体験でした。
後日私が学芸員だった三春町歴史民俗資料館の企画展として、中近東文化センターが所蔵するアルフスタート遺跡(カイロ)出土のイスラムガラスを展示しました。
1989年1月。
中近東文化センターイスラム調査を見学しました。シナイ半島ツール市でイスラム時代の港遺跡を、早稲田大学出身の川床睦夫さんが中心となって発掘調査していました。サンゴで住居が築かれ、出土した文字資料は当時世界の交易史をリードしていました。
発掘作業員たちが夜通し踊って恍惚状態になることを見学したのも、貴重な体験でした。
後日私が学芸員だった三春町歴史民俗資料館の企画展として、中近東文化センターが所蔵するアルフスタート遺跡(カイロ)出土のイスラムガラスを展示しました。