東京憲章(案)    「太陽」「空間」「自然」「水」(都市計画の基本要素)

midori-2.jpgmidori-1.jpg都心を冷ます「野の花マット」(東京大崎・シンクパーク)

山菜、薬草、あるいは高度な木造建築など、日本は縄文時代以来、自然からの恵みを生活に活かし、あるいは生活の身近に野の花をおいて鑑賞し、または自然を題材として文学や絵画に描くことなどによって、緑の文明を築いてきた。

江戸は、市中に緑が多く、しかもそれらが武蔵野から引かれた水道によってネットワークされており、まさに緑の文明にふさわしい首都であった。                                                                   江戸の緑の多くは、崖(ハケ)の雑木林や草地であった。すなわち江戸市中においても、武蔵野の自然が残されていた。                                                                                            また江戸の台所は、野菜など近郊の武蔵野が支えたが、武蔵野は農地、草地、雑木林が一体となったものであった。江戸の農業は、草地の緑肥や雑木林の木の葉堆肥を活用することで成り立っていた。そして草地も雑木林も人が手を加えることによって維持されていた。

midori-3.jpgmidori-4.jpg都心を生かす「野の花マット」(東京大崎・シンクパーク)

しかし、現在の東京は、都市化と自然とのバランスを崩した結果、極度のストレスなどによって人間性が疎外されている。

1933年、CIAM(現代建築の国際会議)は、人間性を回復するために、「太陽」「空間」「緑」を都市計画の基礎とした「アテネ憲章」を構想した。高層建築は、あくまで広い間隔をおいて建てることが前提であり、広い緑地を確保するための手段として、積極的に評価された。

東京やニューヨークなど現代巨大都市が、高層建築が林立し、都市化による人間性の疎外問題が深刻化する現状にあっては、あらためてアテネ憲章を再評価する必要がある。しかし江戸・東京の歴史を振り返れば、水が重要であるので、「太陽(SUN)」「空間(SPACE)」「自然(NATURE)」に「水(WATER)」を加えた、「東京憲章」を提案したい。

アテネ憲章では「緑」としているが、この憲章を主導したル・コルビュジェは「環境とは、それは自然にほかならない」と述べている(「輝く都市」)。

「(ステップの)ひどく貧しい植生は『牧草地』という名前を与えられている」                    「オアシスはオリエント文明の最初の『楽園』で、そこには木があり、泉があり、バラの花があった。多くの有用な植物や農具も、発明から早い時期に利用されるようになった」(ブローデル「地中海」)。

日本の自然は、オアシスよりもはるかに豊かで、人間との関わりも密接であった。したがって、都市計画の目的は単なる「緑化」ではなく、歴史的文化的要素も含んだ「自然回復」であるべきであろう。

「建築とは目の前の物体だけを指すのではない。それが出来上がるまでの歴史や土地の文化をまるごと含んでいる存在だ。アーキテクチャーとビルディングの違いはそこにある」(ル・コルビュジェ『New World of Space』)

東京の自然回復とは、武蔵野の再生である。武蔵野の自然は、人との関わりによって維持されてきた二次的自然である。そこには特有の生態系が形成された。わが国における環境戦略のキーワードである生物多様性も、東京においては武蔵野を再生することによって実現される。

midori-6.jpgmidori-5.jpg生物多様性は人間多様性の基礎(東京大崎・シンクパーク)

「単にテクニカルを超えた人間的、文化的なものとしてのテクノロジー」(ドラッカー「傍観者の時代」)

東京の屋上緑化や壁面緑化を、単に手段としての緑化技術ではなく、文化的なテクノロジーとするためには、「武蔵野の再生による人間性回復」という基本理念が必要である。

アゼターフや「野の花マット」の開発は、この理念のもとに行っている。